幸せカウント

永遠に続く幸せなんてない。ないから少しでも嬉しかったり楽しかったりしたことは大事にしたい。仕事で疲れ気味のアラサー女子の幸せ蓄積日記。ただたまに闇モード入ります。

現状に感謝する

当たり前だと思ってることに
感謝の心を持つと、幸せを
感じられるらしい。

いや、わかるんだけど
難しくない?

論理的には納得いく。
けど実際、ありがたみって
それを失わないと実感できない気がする。

いや、リアルに想像すれば
できるのか‥?

ということで、当たり前に感謝したく
なるような最悪な状況を妄想してみる。

リアルさがないとダメそうなので、
あり得なくはないことにしよう。

まずは…

「バイクで完全に自分の不注意で
結婚間近の若い男性を轢き殺してしまった。」

バイク乗りなのであり得なくはない。
注意はしてるけどゆるむ瞬間はある。

例えばミラーの角度が気にいらなくて
イジってたら歩行者見逃したとか。

自分は無事だけど男性は血だらけ。
救急車を呼んで自分は警察へ。

取り調べを受けてると、
男性がなくなったことを知らされる。

旦那が面会に来るけど
完全に私が悪いから励ましの言葉もない。
とにかく辛そうだ。

里の家族も、大事に育ててきた娘が
大変なことをして悲嘆にくれる。

私の名前は流出し、会社にも迷惑をかける。


…悲惨だ。
これならなんでもするから、
今の状況にもどしてくれと懇願する。

次は‥

「旦那が急に本気の恋に目覚めて私を捨てる」

旦那は過去に大した恋愛経験もなく
さくっと私と結婚した。

仲は良いが、3年目の今
マンネリ感は否めない。

急に職場の若い子に惚れられて、
最初は真面目だなら断ってても
熱心なアプローチに負けて付き合い出す。

そのうち私への愛が下回り、
私がフラレる。

うーん…
慰謝料ふんだくって離婚するだけかも笑
子供もいないし。

いやでも旦那ほど鷹揚で寛大な
人はもう見つからない気もする。

一人‥ムリかもなぁ。


妄想の結果、
今をちょっとだけありがたいと
思えたけど、
あまりポジティブな気持ちにはならんなぁ。

アプローチ間違ってるのか?

そら豆

へっぷり豆。

祖父はそら豆のことを、
そんな下品な名前で読んでいた。

そら豆を食べるとよくおならが
でるからだそうだが、
私の中でその下品な名前が
しみついてしまい、
人前で言わないよう
気をつけなければいけない。

祖父母が作ったそら豆を
茹でてもらって食べたことは
何度もあった。

しかし自分で調理したことは
一度もなかった。

しかし最近スーパーで見るたび
気になっていた。

茹で方を調べると、
思いの外簡単だったので
今日ひと袋買ってみた。

多いかと思ったけど
サヤを割ると実はひとつのサヤに
せいぜい2つしか入ってなくて
大した量にはならなかった。

贅沢な羽毛布団に包まれてるように
サヤが分厚い。

切れ込みを入れて、濃いめの
塩水で2分ちょい茹でたら完成。

皮を押すとツルンと中身が出てきて
ほんのり塩味でほくほく美味しい。
豆のモサモサ感がなくていい。

グリルでも焼いたが茹でたほうが
好みだった。

そのうちスーパーからは
消えてしまうのだろう。

旬のものを味わうことを
知ってると、
楽しいなと思った。

ちなみに、残念なことに
オナラが止まらない。